大きな勘違い

色々、試行錯誤をしてなんとか人並みぐらいの演奏ができる様になってきて楽しいかもって思っていたら更に無知の怖さが出てきました。

 

fは強くpは弱く

 

この言葉に騙されてました。

 

楽譜の場面場面で強弱のつけ方がまるで

 

違うので表現していく難しさにぶちあたるのです。

 

演奏がどうにかなったと思ったら

 

次は演奏表現

 

 

とにかく訳がわからないまま、また高い壁を

 

超えなくてはなりません。

 

 

次はどうしたか

 

 

次はプロの演奏を聴いて楽譜と

 

にらめっこ

 

ところが複数のプロを聴いてると

 

結構細かい所で表現方法が違うんです。

 

何故かわからないまま、自分にピンとくる

 

ものを真似してました。

 

結果、指揮者によってニュアンスの違いが生まれる事がわかりようやく解決。

 

そこに対応できる様に

 

練習を重ねるしかありません。

 

勘違いをした練習をしている事に猛省

 

この辺りからがむしゃらではなく

 

一つ一つ確認しながら譜読みをしてましたね。

 

 

これが後に指導者の道に繋がって行くのでした。

 

やっぱりセンスが無いんだね

高校生になって対外的なものが増え

 

演奏レベルの違いに愕然としたお話はしました。

 

ただ更に無知な事を思いさらされたのは

 

そう自分が吹奏楽に入る前に音楽の点数の話

 

も書きましたけど

 

まずは楽器よりも譜面を読めなければ

 

まずもって先に進めないですよ。

 

言い訳になってしまいますが、

 

中学時代に譜面の読み方をろくすっぽ

 

聞かず、目の前の楽譜に必死でした。

 

更に同期や先輩達もよく知らずに

 

ただ楽譜の音を出してるだけだったんです。

 

そりゃあレベルの差が生まれるのは当然

 

まず実音読み

 

耳に入ってくる実際の音階

 

各楽器で調が違う為に単純に楽譜の音階も違うんです。

 

それすら知らない😞

 

しかも実音で話すのも

 

単純にド、レ、ミと言わず

 

ツェー、デー、エー

 

なんじゃそれって思っちゃいました。

 

楽器のレベルはあとからついてくると思い

 

楽譜の読み方をなんとか一緒にしなければ通用しないので

 

いろんな教本を調べました。

 

後にも先にもあんなに必死こいて

 

勉強したのは

 

 

 

あの時だけですね🤯🤯🤯

 

そして3年生になる頃には

 

なんとか他校の仲間とも

 

会話が成立するくらいにはなりました。

 

演奏レベルは相変わらずでしたけど😁😅

中止

今日は吹奏楽ヒストリーを一旦お休みして

 

 

遂にというかやっぱりか

 

吹奏楽コンクール中止

 

そりゃあそうですよね。

 

運動部の大会だけが中止で吹奏楽だけやる

わけないですもん。

 

密と考えると外でやる運動部より

一人ひとりの距離が近いし、

ホールに関していえば密閉度

高い😦

 

子供たちの将来考えると

悔しいですけど致し方無いのかな。

 

どの部活動の人も悔しいと思います。

 

 

今年3年生のみんな

 

めげずになんとか乗り切って下さい。

カルチャーショック後に自己嫌悪

高校になって演奏会やら吹奏楽祭やそして

コンクールと毎日忙しく練習にあけくれていましたが、やはり対外的なものも増え

他校との交流も少しですが増えてきます。

 

そこで見聞きしたものがとにかく凄かった😲

 

もちろん人数編成の事もあり50人くらいや40人くらいと様々なのは頭で理解しているつもりでした。

 

が…レベルの違いに愕然

 

凄すぎました。

 

後にトランペット吹きの彼がスタジオミュージシャンになって

たまにテレビでもみかけたりします。

 

話を戻しますがどの人もうまいんです。

それには素直に感動

 

また同時になんて自分は、自分の学校は

ダメなんだろうとショックを受けていました。

指導者がいなかったのが致命的でしたけど

それは言い訳です。

いなかったら調べればいいんですが

当時(40年前)はインターネットなんてなかったので吹奏楽向けの雑誌で調べるか

他校の人に聞くしかありません。

もちろん先輩に聞いてもダメでした。

 

なので他校の演奏を聞いて、

それに近づける練習をしてましたが

そうそう上手くいくはずもなく

すぐさま挫折

 

そう、どの分野においても基本なるものの大切さを痛感

 

こんな人間が後に指揮、指導をすることになるなんて予想もしてません。

 

次回楽譜🎼の見方に対する自己嫌悪話をしてみます。

高校時代のブラス

高校に入り、悩むのも面倒だったので

吹奏楽部に入部しました。

 

当時は世間的には校内暴力が横行している時代で正直1年生の自分はビビってましたね。

ところが吹奏楽部は割とほんわかな空気だったんです。

 

確かに人数も少なくコンクールも今でいう小編成

 

当時はCクラスと呼ばれていました。

 

ただひとまず小編成でも県大会は金賞受賞している学校だったんです。

 

あとは秋から冬の時期に演奏会なるものもやっていたのでスケジュールも割と詰まった感じ

 

他を知らない自分にとって、高校はこんな感じなんだと思っていたんですが

 

それが大間違い

 

次回、他校との交流やそこで感じた劣等感を

紹介していきます。

吹奏楽コンクール

今でこそ吹奏楽の甲子園と呼ばれていますが、自分達がやってる頃は単純に県大会、支部大会、全国大会の呼び方しか知りませんでした。

 

始めてコンクールというものに出場したのは中学2年の時のでした。

 

あの独特の空間は今でも覚えてますね。

 

演奏そのものは全く覚えてませんが、

不可解だったのが

銅賞という扱い

最初、あの演奏で賞がもらえるんだって

ビックリしたんですが

吹奏楽界の事がわかったら更に不思議

金賞、銀賞以外は全て銅賞

すなわち参加賞なんですよね。

これは今でも理解不能

 

いわば七不思議の様な感覚なんです。

 

 

次回は少し飛んで高校時代を紹介します。

中学時代の吹奏楽部

当時の自分は右も左もわからないまま、部活を続けていて、なんとなく楽譜🎼を読めはじていました。

その次の難関がチューニング

 

音程という物に全くの無知

 

高いも低いもわかりません。

 

チューニングに関しての知識も無く

 

言われるままに管の調整をしていました。

 

イヤぁ、無知って怖いと感じながら

 

やってましたよ!😅

 

所属していた吹奏楽部はかなり緩い感じで指導もアマイ

 

それが今後の部活動で苦しむ事になっていくんですが、当時はもちろん知る由もなかったです。

 

次回は初コンクール出場の話をしていきます。